*南極旅行の理由

そもそも何故,南極旅行を計画するようになったのか?それにはさまざまな理由がある。

@徳島の教職員には,教職に正式採用されて20年目には「リフレッシュ休暇が5日間とっても良い」という制度がある。前後の土・日曜日を含めると計9日間という大型連休が合法的に取れるわけである。これだけの大型連休を海外旅行に使わない手はない。

A上の制度とは別に,教職員互助会には,「リフレッシュ活動助成金というのがある。これは,旅行など実際に実行しなければ補助金がもらえないという(全然納得いかないものだが・・・)ものであり,この資金を使わない手はない。

B海外旅行,国内旅行を行くとなれば,当然家族の了解も必要だ。夏休みや冬休み,またゴールデンウィークなどであれば,今年でなくてもいつでも行くことができる。家族が行きたがらないような冒険旅行をこの際是非行こうと考えたわけ。




C10年ほど前になるが,私の祖母は腎臓を患い7年ほど入院生活を続けていた。10年前に亡くなったわけだが,家族の誰かが入院していて,しかも,いつどうなるか分からないような状態の時には,良心がとがめてなかなか海外旅行を楽しもうというような気になれない。私の両親ももう結構な年齢なのだが,今のところ元気にしている。(とは言っても父は3年前に大きな手術をしているのだが・・・)両親が元気な今のうちならこの2週間の旅行も可能かなと思ったのだ。

D「家族」だけでなく健康上の理由は自分自身にも当てはまる。5年ほど前に私の義兄が突然死した。まだ41歳の若さである。その日は,いつものように出勤したのに職場で急に倒れたそうだ。「明日はどうなるか分からない。」などというような刹那的な考えはあまりしない方である。だが,つい先日も近くに住む親戚の子が癌で大きな手術をして不自由な体になってしまった。アルゼンチン経由の南極旅行は,相当な体力が必要であろう。体力も気力もこれからどんどん消耗していくのは間違いない。「そのうちに行けるだろう。」などと考えていたら,それこそ一生不可能になってしまうだろう。だからこそ「今」こそと考えたのだ。

E今回の旅行は,たくさんの理由があるにもかかわらず,準備(旅行申し込み)はとても遅かった。詳しくは後に述べるが,これまでは研究発表の準備で忙しかったし,来年度は,これまた大きな研究発表会の会場校となっている。だから、「リフレシュ休暇を1月から3月にもらおう。」と考えた。そして,パンフレットを10月ごろに見だしたのが直接のきっかけである。ということでパンフレットで南極クルーズツアーを見つけたのが遅く,インターネットで検索したところ,もうすでにキャンセル待ち状態でった。少々の旅行ならキャンセル待ちにして,他のツアーを探すにしてもあまり悔いはないのだが,何と言っても『南極』である。もう少し申し込みが早ければ,もう少しこの計画を早く立てていれば・・・とつくづく悔やんだ。知人に何とかいい方法はないものかと相談してみると「大阪発ではなくて東京発ではどうか?」と妙案をいただいた。しかし,インターネットで再び検索したところやはり満席だった。落胆したあげく,だめもとで旅行会社にキャンセル待ちの詳しい状況を聞いてみることにした。すると,「スーペリア内側」というワンランク上の部屋なら何とかなるということだった。3万円プラスだが,この部屋こそ僕のために残してくれていた部屋だと勝手に思いこんだ。(今でも信じてる)早くしなければこの千載一遇のチャンスもみすみす誰かに奪われてしまう。・・・と考え即決した。次の日,早速旅行会社に足を運んだのだが,思わぬ落とし穴が・・・84万8千円にワンランク上の席なので3万円プラス,計87万8千円也,と思っていたのだが,一人部屋追加代金としてさらに23万円必要だという事を知った。確かにパンフレットにも記載されていたのだが,うっかり見落としていた。ううっ,これは痛いっっ!たった2週間で旅費だけで111万円。それに空港税や原油価格高騰によるプラスアルファで120万円近くかかってしまう。ここで,頭がカッカきていたので旅行案内所を出て半日頭を冷やして冷静に考える事にした。が,「やはり行かないで後悔するよりは,行って後悔する方がいい。」と何かの本で読んだ覚えもあるし,こんな時こそのヘソクリだと考えもう一度旅行代理店へ行き,申し込んだのだった。





F私は,パラグライダーをやているが,本拠地としている「勝浦フライトパーク」では「第20番札所鶴林寺上空まで飛行してくる」というのが1つのステータスとなっている。南風に向かってフライトするわけだが,南方向にある鶴林寺に到達するにはアゲインストの風に向かってフライトしなければならない。しかも,そこへ行くには大きな谷渡り(勝浦盆地)をしなければならない。さらに鶴林寺そのものもある程度の標高にあるわけで大変難しいことなのである。十数年パラグライダーをやっているのだが,なかなかこの目標が達成できない。ところがである。数年前にうちのクラブに入会したまだかけだしのSさんがこの大きな目標をすんなりとクリアしてしまった。う〜ん,何とも悔しい思いをさせられてしまった。・・・南極とは何の関連もないようだが,何せ南方には変なこだわりとあこがれがある。どうせなら南の極地まで行ってしまおうと考えたわけである。(不思議なことに南極旅行を申し込みした直後の11月26日には念願の鶴林寺到達に至った。しかも,もう一つの目標であった2000メートル越えも一緒にクリアすることができた!やったー!!)

G海外旅行だけではないが,私は一度訪れた場所はあまり興味が湧かない。(国内ではすべての都道府県を踏破しているし・・・。)海外は,「近畿青年洋上大学」で中国・韓国をそれに,「教職員組合」で台湾に訪れているのでアジアには興味がない。新婚旅行でオーストラリアにも行ったのでこれもパス。そして,昨年にはJICA主催の「教師海外研修」というので香港→南アフリカ経由でアフリカはタンザニアに訪問することができた。ということで残るヨーロッパと北南米に限ってきた。(南極なんかすっかり頭の中から抜け落ちていた?!)でもまあ2週間もの時間を(家族を捨てての)個人旅行に当てられるのも滅多にないことなので南米に的を絞り構想を立てていたわけ。それに,ヨーロッパや北米はもしかしたら,教職員海外研修とか懸賞が当たったりなんかで(自分はけっこうくじ運があるのではないかと自負している)またの機会に行けるかもしれない。世界遺産なんかがいいかなと図書館で調べたりパンフレットをもらって検討していた。そうする中で初めはペルーが第一候補に挙がってきた。そうなると当然南米のパンフになるのだが,その中で偶然にも南極クルーズが載っていたのだ。南極になんか行けるものなのかと初めて知り興味と興奮が一気に湧いてきた。しかも,南極へ行くには日本が冬場のほんの短い期間しかないのだ。しかも,ルートがロス・アンジェルス→ブエノスアイレス→ウシュアイア経由なので今回だけで未知の北南米を含む3大陸制覇が一度に可能なわけである。

H2週間もの旅行をするには,家族だけでなく当然職場の理解を得ることも必要となる。しかし,これについてはあまり抵抗がなかった。というのも少し話は長くなるが,まず最初の5日間は「リフレッシュ」休暇ということで,みんなが当然の権利としてもらっているわけで全然問題なし。問題はその後に続けてもらう年休である。当然の権利と言えばそれまでなのだが,他の職員に迷惑がかかってしまう。ところが,僕には強みがあった。というのも旅行申し込みのすぐ一週間後に徳島県小学校教育研究発表会とうのがあって,その発表者になっていたのである。これは,郡市や学校に割り当てられるいわば「生け贄」のようなもので,それを私が快く受けたことによって他の職員に一つ貸しをつくっていたわけである。また,来年度には,県の小学校人権教育研究会というのがあって,その会場校を引き受けることになっていて,校長も「イエス。ゴー。」と言うしかないのである。さらに,もしも6年生担任であれば,これから卒業文集やら卒業式に向けての諸準備で忙しくなるのだが,私の担任しているのは,4年生。しかも,できのいい子たちがそろっているので,他の先生にも入ってもらいやすいときた。ただ,1月28日(土)には,県小学校の管楽発表会があり,音楽主任の私が不在のため,その演奏会での指揮やら準備やらで他の先生方に迷惑をかけるのが心苦しい。でもまあ,普段は私が中心となって指導を続けていることもあり,他の先生方にも快く承諾いただいたので行くことができるわけです。



I今回の旅行では,自分の経済力に合わないくらいの贅沢と家族や職場,それに担任している子どもたちにも迷惑をかけるわけだが,何と言っても20年に一度のご褒美。考えてみれば,この20年間にはいろいろと大変なこともあった。そして,それなりの努力をし,それなりの実績と信頼を得てきたわけで,40年間仕事が続けられるとして,今回はそのちょうどハーフタイム。わがままをさせていただくことによって,これからもがんばれるということで行かせてもらうことに・・・。

J教職20年のご褒美というだけでなく,実は昨年(2005年)には,目標としていたものがあっていくつか成し遂げたご褒美という意味合いもあった。
T.2000年から取り組んでいたピアノ曲集のレコーディングが5年間かけてようやく完成にいたった。うまくはないが,あこがれていた曲(のべ5時間あまりにもおよぶ)をすべて録音し終えたのだ。
U.これも2000年からの目標であったパラグライダーでの2000m越えフライトがなしえたことである。おまけに,もう一つの目標であった「鶴林寺到達」もクリアできた。
これらの「ご褒美」でもあるかな。

K南極そのものへのあこがれ。海外で国境のない場所はどこにあるだろうか。地球上に人類が蔓延り,かなり昔から領土権を主張しては争いが繰り返されてきた。それは,人類が生きることの難しい砂漠にまで至る。南極大陸にしても発見されて以来,一定の冒険・探索を終えると各国はそれぞれ領有権を主張し始めた。だが,その後の「南極条約」などにより,研究目的の基地はあるもの,各国は領有権は破棄し環境を守りながらの国境のない地域として維持されている。これは,現代における理想郷とは言えないだろうか。そして,さらに南極は誰もが簡単に行ける場所ではないというのが,またまた良いのである。

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